近藤宏二(こんどう こうじ)
1910年(明治43年) 群馬県吾妻町に生まれる
1925年(大正14年) 高崎中学2年修了より、東京府立四中に転入
1927年(昭和 2年) 四年修了。旧制一高へ入学
1930年(昭和 5年) 一高卒業。肋膜炎を患い一年余り自宅療養
1932年(昭和 7年) 東京帝国大学(現・東京大学)医学部入学
1936年(昭和11年) 東京帝国大学(現・東京大学)医学部卒業
1937年(昭和12年) 内務省入省。
1938年(昭和13年) 厚生省入省。厚生技官、結核対策を担当
1947年(昭和22年) 厚生省母子衛生課長、母子手帳創案
1947年(昭和22年) 東京大学にて医学博士となる。
論文「本邦における潜在結核死亡推計に関する統計的研究」
論文「本邦における潜在結核死亡推計に関する統計的研究」
1950年(昭和25年) 東京文化短期大学教授
1952年(昭和27年) NHKラジオドクター
1957年(昭和32年) NHKテレビドクター
1959年(昭和34年) 近藤クリニック創立
1963年(昭和38年) 保険文化賞 受賞
1967年(昭和42年) 文化放送ラジオドクター
1967年(昭和42年) NETテレビドクター
1978年(昭和53年) 藍綬褒章 受賞
1979年(昭和54年) 文化放送賞 受賞
※NHKラジオ第2の「療育の時間」は延べにして1万回を超える長寿番組となりました。
著書
「人體と結核」岩波書店(1942/08)
「結核對策」醫學書院 (1951/05)
「人体生理学」朝倉書店 (1955/04)
「健康生活の化学」光生館 (1961/09)
「長生き健康の秘密」実業之日本社 (1965)
「誤診おそるべし」社会保険出版社 (1967/11)
「現代養生訓」講談社 (1972/06)
「私のみた中国医学」社会保険出版社 (1973/05)
「長寿の100カ条」文藝春秋 (1974/06)
「自分で治す成人病」家の光協会 (1975/04)
「母よ百まで生きて」主婦の友社 (1976/06)
「薬に頼らぬ健康百科」健友館(1980/01)
「症状別癌の早期発見法」健友館(1980/10)
「歌集『こころ』」近代文芸社 (1984/01)
「貝原益軒『養生訓』を読む」三笠書房 (1984/12)
※上記以外にも、一般向けの健康啓蒙書が多数。